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ナスカの地上絵、永遠に残る理由とは?謎多き古代のアートワークを探求

はじめに

ナスカの地上絵が時間を経ても消えずに残っているのはなぜでしょうか?

この古代の巨大な地上絵は、その存在自体が神秘に包まれています。
ナスカの地上絵は紀元前200年から紀元後800年にかけて描かれたもので、日本の歴史で言えば弥生時代から飛鳥時代に相当します。

学校の運動場に石灰でラインを引くと、そのラインは数日で自然に消えてしまいますよね。
それに対して、約2000年前に描かれたナスカの地上絵が消えない理由は、その作成方法とナスカ地域の特殊な自然環境に関連しています。

この記事では、ナスカの地上絵がなぜ長い年月を経ても消えないのか、その理由と共に謎を解き明かしていきます。

また、ナスカの地上絵の観光についても詳しく紹介します。

ナスカの地上絵が消えない理由とは?3つの要因と将来の脅威

ナスカの地上絵が永遠に残る理由には、3つの要因があります。

その要因とは、描かれた方法、独特の自然環境、そして厳重な保護措置です。
これらの要因と共に、ナスカの地上絵の現状と将来に潜む危機についても詳しく解説します。

ナスカの地上絵は、「絵」として知られていますが、実際には絵画のように描かれたものではありません。
地上絵と聞けば絵画を思い浮かべるかもしれませんが、ナスカのそれは一風変わっています。
過去の洪水で山から流れてきた石の破片が、空気に触れることで「砂漠漆」という状態に変わりました。
この砂漠漆は、砂漠や風化作用で表面に形成される薄い被膜で、鉄やマンガンの酸化物から成り立っています。
砂漠漆の石は、空気に触れた部分が黒く変色し、地面に触れる側は明るい色合いをしています。

ナスカの地上絵は、この黒い石を取り除くことで、下の明るい土地を露わにし、作られました。
取り除いた石を並べることで、黒い枠を形成し、絵をよりはっきりさせています。
このように、地上絵は地面に何かを塗って描かれたわけではなく、特殊な方法で作られたため、長期間にわたり消えずに残っています。

ナスカの地上絵が消えないもう一つの理由は、降雨が少ないことにあります。
ナスカの地上絵は石を動かして明るい土地を露わにすることで描かれていますが、風や雨により石が動かされると絵が消える可能性があります。
しかし、ナスカ地域は非常に降雨が少なく、このような消失のリスクが低いのです。
ナスカ地域の年間降水量はわずか2.1mmで、世界でも最も乾燥した地域の一つです。
ペルー海流の影響で雲や霧は発生しますが、実際の雨量は極めて少なく、一部の月では降水量が0mmになることもあります。

エルニーニョ現象による珍しい降雨がナスカ地域でも発生することがあります。
この現象は太平洋赤道域から南米沿岸にかけて海面水温が高くなる現象で、しばらくの間続きます。
しかし、ナスカの地上絵が高台に位置していることもあり、雨による影響を受けにくく、長期間にわたってその状態が保たれていました。
この乾燥した気候が、地上絵が保存される理由の一つです。

ナスカの地上絵が発見されてから約100年が経ちます。
1939年にアメリカ人考古学者ポール・コソックによって動物の地上絵が発見され、その後、ドイツ人女性マリア・ライへが研究と保護活動に協力しました。
彼女は自己の資産を投じて、地上絵の研究と保護に一生を捧げ、20メートルの高さの観測台「ミラドール」を設置するなど、地上絵の保護と観測のための施設を作りました。

マリア・ライへは1998年に95歳で亡くなりましたが、その後ペルー政府はナスカの地上絵周辺の立ち入りを制限しています。
2015年にはペルー文化省と山形大学が学術協力と保護に関する特別な協定を結び、ナスカ地上絵の立ち入り調査は山形大学チームだけに許可されています。
ナスカの地上絵が長期間残っているのは、研究者による保護の成果でもあります。
しかし、ナスカの地上絵は約2000年前に描かれたにも関わらず、現在は消失の危機に直面しています。

これまで3つの理由で消えないことを紹介しましたが、状況は変わりつつあります。

ナスカの地上絵は消失の危機に直面

長年にわたる自然の影響で、ナスカの地上絵は風にさらされ、その輪郭を形成する石の破片が色褪せ、色のコントラストが弱まっています。

また、地上絵が発見されてから約100年が経過し、特に過去50年間は人間活動による影響が顕著です。
観光客や地元住民の立ち入りが増え、遺産の保存に対する意識の低さが、消失の一因となっています。

近年、ナスカ地上絵に対する損傷事例も発生しています。

一例として、国際環境団体グリーンピースがナスカの地上絵近くに「TIME FOR CHANGE THE FUTURE IS RENEWABLE! GREENPEACE」というメッセージを設置し、地上絵の上を歩いて足跡を残しました。
これは気候変動問題への意識を高めるための行動でしたが、地上絵を荒らす結果となりました。
また、貨物トラックが標識を無視し遺跡地帯に侵入、地上絵の一部を破損し、約100メートルにわたるタイヤ痕を残しました。

このように、ナスカの地上絵を大切に守ろうとする人々と、その重要性を軽視する人々が存在する現実があります。

ナスカの地上絵の謎の探求は、誰が、いつ、何のために描いたのかという疑問を含んでいます。
ナスカの地上絵だけでなく、世界中の貴重な遺跡や資料を守るための努力がいかに重要かが明らかです。

誰が、いつ、どのような目的でこれらを描いたのか基本的な疑問

ナスカの地上絵は、多くの謎に包まれています。
誰が、いつ、どのような目的でこれらを描いたのかは、未だに明確な答えは見つかっていません。

ナスカ地域には、より知られざるパルパの地上絵も存在しています。
ナスカの地上絵は、広大な1000平方キロメートルに及ぶ範囲に描かれており、壮大なスケールを誇ります。

名称は「ナスカとパルパの地上絵」とされ、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた砂漠地帯に位置しています。
これらは紀元前200年から紀元後800年の間に描かれたとされ、雨乞いを目的とする説が有力です。
1994年には世界文化遺産に登録されましたが、発見されたのは1926年頃です。

元々は「ナスカとフマナ平原の地上絵」と呼ばれていましたが、2016年の世界遺産委員会で現在の名称に変更されました。
この名前にはナスカの地上絵とパルパの地上絵の2つの種類が含まれています。
ナスカの地上絵は広く知られていますが、パルパの地上絵はあまり知られていません。
パルパはナスカの北側に位置し、ナスカの地上絵は主に西暦200年から700年に栄えたナスカ文化に属しています。

一方、パルパの地上絵は紀元前500年から西暦200年にかけて描かれたものが多く、ナスカの地上絵が直線や幾何学図形、動物など多様な種類を含むのに対し、パルパの地上絵は主に人間の姿を描いています。

ナスカとパルパの地上絵の違い

ナスカの地上絵はその幅が1~2メートルに及びますが、パルパの地上絵は数センチメートルの幅しかなく、そのため発見が難しかったとされています。
結果として、一般的によく知られているのはナスカの地上絵です。

本記事では、便宜上「ナスカの地上絵」と呼ぶことにします。

ナスカの地上絵の目的については、雨乞い説が有力とされています。
なぜこれらの巨大な絵が描かれたのかは最大の謎の一つで、古代の人々がどのような意図でこれらの絵を描いたのか、世界中の考古学者が調査を続けています。

この章では、ナスカの地上絵の目的に関する可能性と、その中でも有力とされる説について解説します。

暦法との関連性に関しては、ナスカの地上絵の研究・保護に生涯を捧げたマリア・ライへは、ナスカの線が地平線上で太陽、月、星の位置を示していると考えていました。
これらの天体の出現と消失が時間の流れを知るために利用されたというのが彼女の説です。
しかし、ナスカの線が天体と一致する例が少ないため、この説は広く支持されていません。

また、社会事業としての地上絵についても考えられます。
ナスカの地上絵が描かれた時代には、現代のような中央集権体制は存在せず、食料は家族単位で管理されていました。
そのため、不作の年には飢餓による死亡者が多く発生していたことから、地上絵が社会的な役割を果たしていた可能性もあります。

このような状況の中で、食料を集め、労働力の大きい祭祀施設の建設(地上絵の作成活動)を行う人々に食料を配給し、飢えを防ぐシステムが確立されたと考えられています。

祭祀とは、祭りや儀式を意味し、この時代の祭祀は神仏や霊に対する奉仕、鎮魂、感謝、祈願を行う儀式のことを指します。
ナスカの地上絵は、このような祭祀の儀式を行うための施設や事業であった可能性があります。

雨乞い儀式説については、ナスカの地上絵の目的として最も有力とされています。
ナスカ地域は降水量が非常に少ない砂漠地帯で、雨は農業用水や生活資源として極めて貴重でした。
このため、貴重な雨を降らせるために行われる雨乞いは、古代の人々にとって非常に重要な儀式だったと考えられます。
ナスカの地上絵に描かれている「クモ」は、雨を象徴する存在であると指摘されています。

また、エクアドル原産の特殊な貝がナスカ地上絵近くで発見されており、この貝が雨乞いの儀式で使われていた可能性があります。
ナスカの地上絵には一筆書きで描かれたものが多く、これが雨乞いの儀式での行進路であったという説もあります。

これらの点から、ナスカの地上絵が雨乞い儀式に関連していたという結論に至ります。

農耕や水と関連する儀式としての使用に関しては、ナスカ時代に農耕が盛んであり、アンデス山脈からの川の水を利用していたことが知られています。
農耕における灌漑や水路としてナスカの地上絵が使われていたという説もありますが、その通り道が狭いため、あまり支持されていない状況です。

結果的に、ナスカの地上絵が雨乞いの儀式に使われていたという見解が強まっています

ナスカの地上絵はどのようにして作られたのか

飛行機が存在しない時代に、これらの巨大な絵がどのように描かれたのか、研究者の見解を基に解説します。

マリア・ライへが提唱した古代の方法には、杭とロープを用いた拡大法があります。
布にチョークで描かれた原画を地面に写す際には、二倍や三倍の大きさに拡大して描いていました。
様々な長さの棒とロープを使って、コンパスのように弧を描く方法が用いられたとされています。
しかし、この方法では、200メートルを超える大きな絵を描くのは困難であったと考えられています。

天文考古学のパイオニアであるアンソニー・F・アヴェニ教授は、ナスカの地上絵の描画法に関する実験を行いました。
彼は設計図なしでナスカの地上絵を描くことが可能であることを示し、そのための労力を実際に検証しました。
作業は、作業員を2つのグループに分け、地上絵を描く線の内側に配置し、砂漠漆の石を集めて積み上げる作業を定期的に行いました。
作業中は2名の監督者が配置され、歪みが生じた際には修正指示を出しました。実験結果、90分間で27平方メートルの石を片付けることができました。

この実験によれば、100人が1日10時間働けば、2日間で1670平方メートルの石を移動させることが可能でした。
これは9×183メートルの台形の面積に相当します。
例えば、1万人がナスカの地上絵全体を作成するのに必要な時間は10年未満という結論に至りました。
ナスカの地上絵を描く方法には多くの見解がありますが、設計図の有無にかかわらず、これらを描いた古代の人々は高度な知識と勤勉さを持っていたと考えられます。

ナスカの地上絵を観光する際には、遊覧飛行ツアーがおすすめ

日本からペルーへの旅は、飛行機で片道約21時間の長距離です。
到着後は車でナスカ周辺へ移動する必要があります。
長い距離を移動する観光なので、快適に目的地に到着するための計画が重要です。
ここでは、日本からナスカの地上絵への観光計画について具体的に説明します。

ペルーとナスカの地上絵に関する基本情報は以下の通りです。

国名 :  ペルー共和国
首都 :  リマ
人口 :  約3297万人
民族構成: インディヘナ(先住民)、メスティソ(混血)、欧州系など
言語 :  スペイン語、ケチュア語やアイマラ語(少数派)
通貨 :  ソル(1ソル = 約34.75円、2023年4月現在)
時差 :  日本との時差はマイナス14時間

ペルーの気候については、南半球に位置するため、日本とは季節が逆になります。
首都リマやナスカ台地はほとんど雨が降らない地域で、高地では夜間と日中の温度差が大きく、夜は冷え込むことがあるため、暖かい服や羽織るものが必要になる場合があります。

ナスカ地上絵の代表的な絵柄とその特徴を紹介します。

ハチドリ  :  ナスカ地上絵の中でもよく見られるもので、約96メートルの長さがあります。
クモ    :  農耕や水と関連する図柄で、全長は約46メートルです。
ペリカン  :  ナスカ地上絵の中で最も大きい図柄の一つで、全長約285メートルに及びます。
サル    :  渦巻き状の尾を持つサルの図柄で、全長は約110メートルです。
コンドル  :  両翼を広げた姿が特徴的な図柄で、全長は約136メートルです。

日本からペルーへのフライト情報と入国に必要な書類についても解説します。

日本からペルーへのフライト情報:
  日本からペルーへの直行便はありません。
  アメリカなどの国を経由してペルーに入国することになります。

リマへの到着までの所要時間は約21時間です。

航空会社と乗り継ぎ:
 ・アメリカを経由してペルーのリマに向かう場合、デルタ航空、アメリカン航空、ユナイテッド航空
  などの主要な航空会社を利用可能です。

 ・アメリカから南米に向かう際には、LAN航空やLANペルーなどの南米の航空会社を選択することも
  できます。

ペルー入国時の必要書類:
 ペルーへの入国にはパスポートと帰国用の航空券が必要です。
 また、滞在費用の証明を求められることがあります。

パスポートに関する要件は次の通りです。
 入国時にはパスポートの有効期間が6ヶ月以上必要となります。
 未使用のビザページが入国時に5ページ以上必要です。

ビザに関しては、183日以内の観光目的であればビザは不要です。
これらの情報は2023年2月時点のものですので、旅行前に最新情報を確認してください。

ナスカの地上絵観光方法には、主に以下の2つがあります。

遊覧飛行ツアーに参加:
 国際線が到着するリマからイカやビスコの町へ移動します。
 太平洋沿岸を車で約4時間移動する必要があります。

 イカやビスコから遊覧飛行ツアーに参加するのがおすすめです。
 ナスカの地上絵だけでなく、パルパの地上絵も含むツアーがあります。

ナスカでは動物、昆虫、幾何学模様など多様な絵を見ることができ、パルパでは人物の絵が多く描かれています。

ナスカ地域への直接訪問:

イカやビスコから南へ約3時間車で移動するとナスカに到着します。
ナスカの地を直接訪れることで、その気候や地形を体感し、古代の人々が眺めたであろう景色を実際に目にすることができます。
ナスカの地上絵は、上空から全体を見渡すことが最良の方法です。
地上からでは、その巨大さ故に何を描いているかを完全には把握することができません。
遊覧飛行がおすすめです。

まとめ

ナスカの地上絵が消えない理由は、以下の3点です。

石を取り除いて描かれたこと。
降雨が少ないこと。
厳重な保護措置があるため。

ナスカ地上絵の消失の原因は、自然環境の変化と人間による破壊です。
ナスカには、ナスカとパルパの2種類の地上絵が存在します。
ナスカの地上絵の目的については、雨乞い説が有力です。

ペルーへの直行便はなく、アメリカ経由での移動には約21時間かかります。
ナスカの地上絵の観光には遊覧飛行が最適です。

ナスカの地上絵がどのようにして描かれたのか、その謎について詳しく解説しました。

古代の人々がどのような意図でこれらを描いたのかは、私たちが残された遺跡や証拠から推測するしかありません。

人類が存在し続ける限り、今日の私たちの生活もいずれは古代の歴史の一部になります。

遠い未来の人々が私たちの文化や生活をどのように解釈するか、今の私たちが残すものが何であるかを考え、行動することも大切です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

当サイトが参考になれば幸いです。

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